夜。
Netflixで『最愛』の6話目を観て、それが終わると部屋の照明を落としてYoutubeでナイトジャズ。夜PCを広げる時のいつものスタイル。
テレビドラマは普段観る習慣がほとんどないけれど、Netflixで数年後に追いつくスタイル。
ミッチーが「こっち側」じゃない役なんて……
さて、
うっすらとこのブログのなかで垣間見せているような気もするが、酒好きである。
毎日飲めと言われればいくらでも飲めるのだけど、基本的に平日はほぼノンアル。よほど暑い、やる気が出ない、逆にちょっとうれしいことがあった……等々。そういった時にちょっと缶ビールをプシュッとやることはあるにせよ、そこから雪崩れるようにコンビニに走り……ということもない。
その代わり、休日になると箍が緩む。金曜日はもう朝からソワソワしていて仕事が終わると飲み屋に駆け込んで1週間の(自分で自分の)労をねぎらう。
たいていは、サイゼリア。小エビのサラダやエスカルゴ、青豆温サラダなんかを好き放題頼んで白ワインをだいたいいつも500ml。小デカンタを2回。冷えてるのを飲みたいから小を2回。
あーこれのために生きてるよ!
そのまま土日は予定があろうがなかろうがどこかで酒を飲み(定食屋だろうがラーメン屋だろうが置いてあればビールを注文する。瓶ビール最高。家であれこれ食卓をととのえて家飲みする時間も最高)、気がついたらぐったりと日曜日の夜を迎えている。
そういうわたしが、禁酒をはじめることになった。
(*現在時点でまだ酒が絡む約束や予定がちらほらあるので、今後節酒になるのか断酒になるのかはまだ決めかねている。完全に1滴たりとも……とはならない気もするけど、とりあえずいまの感覚を記してみる)
ここまでのものだっただろうか、と思うのだ。
週末の晩酌が楽しみ、というほどには習慣的に飲むほうではなかったし、ひとりで外食に行って「・・・と瓶ビール」と注文するほどではもちろんなかった。
それがいま、めぐりめぐって上記のような具合になっている。
それでも毎日飲むわけじゃないし、若い頃ならいざ知らず酒での失敗もこの10年くらいはしていないし、何なら酒にはどんどん強くなっている。
わたしはお酒をシンプルにほどよく楽しめている。と思っていた。
そして、決定的なことが起こる。45歳にして警察のお世話になったのだ。
その日は、お世話になった会社の先輩の定年のお祝い会だった。
久しぶりに顔をあわせる面々と楽しく過ごして、たしかにそれなりの量は飲んだのだけれど、帰り道が心配になるほど飲んだということもない、はず。
それが、目が覚めたらケーサツ屋さんの牢屋だった。
こんなことはバカの限りを尽くしていた若い時代ですらない。しかも、収容されていた警察署がまったく自分の生活圏内ではなかった。
もちろん記憶はまったくない。
その時偶然体調がひまひとつだったのか、シンプルに定量オーバーだったのか、わからないけどいずれにしてこれは怖いことだなと思った。
ソバーキュリアスとは
ソバーキュリアスとは、2019年ごろにイギリスのジャーナリスト、ルビー・ウォリントンが『飲まない生き方 ソバーキュリアス/ルビー・ウォリントン』で提唱した「sober(シラフ)」と「curious(好奇心)」が組み合わせた造語。
「何故アルコールはこんなにも……幅をきかせているのか」。著書を読み進めてぎくっとする。ほとんど週末しか飲まないけど、酒を飲まない週末なんて考えられなくなったのはいつからか。角ハイはいつから「濃いめ」をチョイスするようになったのか。
禁酒のアドバイスブックのひとつ『今日から減酒!/倉持穣』によると、週末や特別なイベントでしか飲まない「機会飲酒」派であっても、いわゆる「依存症」になることはあるそう。本書に示されているチェックシートを試してみるとなるほど、うん、そうか……という感じだった。
酒をやめなければならないのかもしれない。
数日考えて、そう決めた。そして、家にある酒をすべてメルカリで売り(すぐに買い手がついた。全部でワンケース分くらいのビールがあった。大切な時に飲もうと思っていた緑の限定春のクラシックも、売った)、瓶のブラックニッカとキンミヤ焼酎はシンクに流した。
そこからだいたい3週間あまり。何とか、ここまでは続いている。
今後どうするかはまた考えることにして、とりあえずはこのまま「基本飲まない」を続けてみようと思う。旅先でどのように過ごすか、あたりはまた別途考えることとして。
風呂上がりのピルクルミラクルケア(よく眠れる。おすすめ)と、Netflixといい照明器具があればとりあえずいい夜は完成する。たぶん。
それはそれとして、週末の夜をいい感じに過ごす何かいいアイデアはないだろうか。酒を飲むよりもっと特別な何かいいアイデアが。
それこそがソバーキュリアス、「sober(シラフ)」と「curious(好奇心)」なんじゃないかという気がする。気もする。
さて、どうなりますか。
きょうの本
本文中にも書いた「ソバーキュリアス」という造語を生み出したジャーナリストのいわゆる禁酒本。文筆を生業にしているひとというのはこんなに滑らかに語るべきことを軽やかに文章にするのか……と驚くくらいスムーズで、砕け方やスパイスの分量、誠実さのバランスが絶妙。もしかすると翻訳の力もあるのかもしれない。
語られる半生は若い頃のアンジョリーナ・ジョリーのように尖っているんだけれど、いわゆる禁酒本のなかでは(ありがちな偏りもなく)いちばん気軽に楽しく読めた本だと思う。
それに、彼女はあらゆる禁酒本やコラムでも積極的には語られていない禁酒の’ある効果’について触れていて、それがとても興味深かった。
その効果がわたし自身の身に起こるのかは、目下絶賛わが身を使って実験中なわけだけれども、何かピンとくることがあったらそれはどこかにタイミングで記事にしたいなと思う。
こちらは禁酒が難しい「患者」向けに提言されたある種救いとも言える「減酒」について語られている1冊。一般の症例とかが細かく語られていてとても興味深いんだけど、ある種ここで減酒をすすめられている患者たちはもう完全にコントロールを破壊されたアルコール依存者。
それを知るために読むのもいいかもしれないと思う。「これまでこれだけ飲んできました、結果こうなりました、なので禁酒しました、最高に快適です」という本を読んでも、興味深さはあるけど、怖さはない。
この本には怖さがあった。週末しか飲まなくても、ここに向かっているんだよ、と。