土曜日。
きょうから住んでいる住宅の外壁塗装がはじまるらしい。洗濯物が干せない期間が1ヶ月にも及ぶらしく頭を抱えている。
わたしは花粉症にも無縁なので、洗濯物は外干しが基本。というより、洗濯が下手なのかこれまで住んだどの部屋であっても部屋干しが上手くいかない。乾いた洗濯物がどうしても「何となく臭う」気がする。
とりあえず、小型の除湿機を購入したみたけれど、効果のほどはどうだろう。
少し前に読んだ本のなかに、山本文緒『無人島のふたり』がある。
小説家の山本文緒が余命宣告をされ、それを受けて死に至るまでの日々を綴った日記。
死に直面してはいるものの、読み心地はとても軽やかだ。
それにしても死というものが面前にやってきた時、こんなふうに達観して好きな本を読みながら穏やかに、過ごせるものなのだろうか。
2025年は人間ドックには行かず、会社の健康診断と乳がん検診(会社が費用を負担する)だけで済ませる予定。病気とは基本的には無縁だけれど、ある日唐突に健康を害する不安はいつだって傍らにある。
自分はどう死ぬのだろうか。あるいは、いつ。
考えても仕方のないことだけれど、ふっと泥濘にとられることがある。
山本文緒は著書のなかで「上手く死ねますように」と願っていた。
すごく、よくわかる、と思う。
死に様といえば、こちらもごく最近読んだ本に長浦京『プリンシパル』があるんだけど、
あれはすごかったな。
令和のいま、あんなヤクザ小説が読めるなんて。
生き様なんて、ほんとはどうでもよくて(いきてるだけでまるもうけ、という価値観がわたしはけっこう好きだ)、死なないから生きている程度のものだけれど、死に直面したらきっと冷静ではいられないんだろう。
そういう小物感こそが、「生きている」ということなのかもしれない。
きょうの本
山本文緒:『無人島のふたり:120日以上生きなくちゃ日記』
小説家の山本文緒が余命宣告をされ、それを受けて死に至るまでの日々を綴った日記。
死に至るまでの移り変わる体調や病状など、克明に記されてはいるものの自宅で死を迎えることを決意し、余命を受け容れて好きな土地で好きなひとと過ごして、死ぬ。
体調や死に臨むどうしようもない不安はあるが、基本的には文章のそこここに幸せが満ちていた。
『無人島のふたり』ってタイトル、考えたら盛大なノロケだもんな。
死に直面していることを除けば、日常の記述は淡々としており読んだ本や会ったひとなど、充実した毎日がみずみずしいまである。日記でも、プロの書いた文章はすごい。
長浦京:『プリンシパル』
暴力団の巨大組織、堅気に生きていた一人娘が組を継ぐことになっての戦後~近代を描いた壮大なヤクザ小説。死に様、という単語を軽々しく出すのが憚られるほど、この小説に出てくる「死」はえげつない。
読み口は素晴らしくおもしろい。謎解きがあるわけでもないのに夜中まで目をしぱたかせながら読まされてしまう、本好きにとっては幸せな読書時間。
ラストの着地は「あ、そういう?」とあっけにとられて呆然。ついて行けなかったわたしがおかしいのか? わからない…………ヤクザの世界!
ちなみに長浦京はわたしの中で、深緑野分と並んで読んだら少なくともそれなりに満足できることが確定している小説家。