ストレスとは悪者なのか

暮らし

ある時、「もうすべてが嫌だ」と思い、それでも生活があり自分で自分を養うことしか選択肢がないわたしはすべてを捨てて(つまりは会社を退職して)南の島に行ったりすることはできない(映画『めがね』のような。後追いしてくる加瀬亮までいていったい何が不満なのだろう)。


そこで、代わりといったら何だけどSNSにアクセスするのをやめてみた。WEBサイトのニュースを拾うのもやめた。適宜メールチェックと、ごくたまにInstagramで個人の部屋のインテリアや食卓を眺める(ツールはSNSなのだが、誰とも接点を持たないので「情報」としてのストレスはほとんどない。それでもいつまでも眺めていると頼んでもいない余計な情報を運んでくるのがInstagramのいかれたところなので、ごくたまに。少しだけ)のみ。

そうすると、ストレスが一気になくなった……とまではいかないけれど(仕事に行かなければならない、生活のあれこれ、いつ何時まで何をしなければならないといった積み重ね)ごく限定的になった。

……ここまで書くとデジタルデトックス的ないい話っぽく聞こえるかもしれないけれど、そうではない。というか、これだけならこれはこれでいい話なんだろうと思う。ただ、ふと思った。

ストレスとは悪者なのだろうか。

つまり「もうすべてが嫌だ」の延長か、それともストレスが減ったことでその向きのエンジンがかかったのか、どちらなのかはわからないが、ともかくもっと解放してみたくなったのだ。

そこで、食べたい時に食べたいだけ食べたいものを食べ、自炊せず何も考えずにカネを遣い、だらだらと散々観倒した好きなアニメを(ハッピーターンでも食べながら)観て、週末は昼まで寝てみる……

生活があるので全方向に振り切ることはできないのが引っかかるといえば引っかかるけれど、ひたすらノーガードで生きてみる(いま書いていて思ったけど、ノーガードと言いつつそうでもない、とは思った。もっとこう、会社のカネを横領して1日できれいに溶かす……みたいなことが世間でいうノーガードなのかもしれない)。

とにかく自由に生活してみる、ということを試してみた。
そうしたら、もっと解放された気分になれるのではないか。

と、思ったのだけど、違った。

そうした自由な生活ではどんどん気持ちが沈んでいってしまったのだ(驚いたことに)。濁っていく、というか、もっと言えば腐っていくというか。
どうやら、ある程度節制をして(ある程度)、自炊を中心に時々外食をする。新しい本や映画に接して、寝る前にストレッチをする……みたいな生活をしている時のほうがよほど精神的に解放されるようなのだった。

いわゆるところの「HPではなくMPを回復するために」といった話なのかもしれない。楽すぎると、MPが減ってしまう。そういえば、スピリチュアル的な話で「振動数を上げる」みたいな話があった気がする(おそらく掃除をすると運気が上がる、といった話の類い)。そういう感じとも近い気がする。

もっとも、上手に自分を解放できなかっただけかもしれないけれど。

結局のところ、自分の限られた自由の中ではストレスはある程度必要だということがわかったというのが今回の話。

島本理生の小説で、確か大学生くらいの主人公が、帰省に際して空き部屋になるアパートを友人から借りて1か月くらい現実逃避する、みたいな話があった。
あれはちょっと、いいかもしれない。1か月空き部屋を貸してくれる友人はいないので、ホテルサブスクのようなサービスにのって、温泉地で仕事をする(たぶん会社の許可が出ないだろうとは思うが、辞めることと比較したらいくらか現実的であること)。

ちょっと素敵だけれど、これはまたちょっと違う話だよな。
上手にリラックスして、且つMPも充填できそうなことがないものだろうか。
散歩の途中で焼き鳥を買う、よりももう少し日常から逸れられて、南の島への逃避よりももう少し現実的である、いいアイデアが。

きょうの映画

『めがね』(2007年 監督:荻上直子 主演:小林聡美)

荻上直子女史の映画が好きで、くまなく観ている。小林聡美も、もたいまさこも、市川実日子も好きだ(ついでに実和子も好きだ)。

小林聡美演じる都会人(たぶん)が、離島のホテル(民宿)に現実逃避にやってきて(「もうすべてが嫌」と思ったのだろう、と推察できる不機嫌な佇まいで)、さまざまなふれあいを通じて自分を解放していくという映画。数多くの食卓シーンを彩るのはお馴染みフードスタイリストの飯島奈美。

「大切なのは、焦らないこと。焦らなければ、いつかきっと」。

きょうの本

島本理生:『生まれる森』

島本理生はいまでこそ重厚なミステリータッチの長編だとかも書いている認識だけれど、これは彼女が20歳くらいの時に書いたみずみずしい青春小説(群像劇とかではまったくないのだけど、これもひとつの青春だろう)。

心に傷を持つ大学生の主人公が空き部屋となった友人のアパートで過ごす夏休み。環境や、登場人物たちとの交流でゆっくり再生していく、という話。

もう読んだのは10年は軽く前のことだけれど、思い出すためにちらっと調べたら島本理生は佐藤友哉と結婚して離婚して(ここまでは知ってた)、その後また再婚していたらしい。びっくり。

タイトルとURLをコピーしました